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6.7松本零士先生 お別れの会 銀河葬「遠く時の輪の接するところで、また巡り合える」
6月3日(土)東京国際フォーラムにて、今年2月13日に85歳で亡くなった松本零士氏のお別れ会が開催された。会場は「銀河鉄道999」の世界、無限に広がる大宇宙。地球に見立てた青い花祭壇、宇宙へ向かうレールの先に飾られた愛猫ミーくんと零士氏の写真にメーテルが寄り添い、鉄郎が振り返る。横の壁には氏の経歴が紹介された大きなパネル。司会者のお宮の松氏は「車掌さん」姿、999の車内などを作り込んだ撮影コーナーもある。漫画家の会で、入口に「出版社」などと並んで「宇宙関連」用受付があるなんて、零士氏の他には無いだろう。
式典は、ハーロックの横顔にペン入れしながら仕事について語る零士氏のビデオ上映で始まった。皆で黙祷を捧げたのち、映像と共に氏の経歴が紹介された。
お別れの言葉。ちばてつや氏が常に腹ペコのデビュー当時や、コンコルド世界一周に無理やり?連れて行かれた思い出を語り、「私ももう少しだけ頑張ったら、松本さんの居る銀河系を追いかけて行きますから。そしたら今度こそ、ザブトンのようなビフテキを一緒に食べようね。じゃあいってらっしゃい」と見送った。声優の野沢雅子氏と池田昌子氏は弔辞の後、鉄郎とメーテルの声で「先生の今度の旅は少し長くなりそうね」「星の海のどっかでまた会えるんだ。それまでちょっぴり寂しいけど…松本先生!お元気で!またね!」と別れの言葉をおくった。日本宇宙少年団理事長を氏から引き継いだ宇宙飛行士山崎直子氏は、氏が宇宙への大きな夢を与え、日本の宇宙開発に多大な貢献をしたことへの感謝を述べた。弔電はXジャパンのYOSHIKI氏と、音楽ユニット、ダフト・パンクからの二通が紹介された。
献歌。「音楽で明るく送りましょう」と司会者が述べると、歌手のささきいさお氏がステージに上がり、「先生とはヤマトで出会い、『999のテレビが決まったから主題歌を歌って』と言われてとても嬉しかった」と語って、テレビ版「999」主題歌を熱唱。次にタケカワユキヒデ氏がピアノの前に座り、「勢いだけで宇宙に行くぞ!みたいな曲を作ってしまって、後で『松本先生は重厚な音楽が好き』と聞いて慌てました。謝ったら、『あれでよかった。ミュージシャンはマジシャンだから』と言ってくださってホッとしました。この歌はずっと歌っていきます」と映画版のエピソードを披露し、主題歌を歌い上げた。
喪主の、妻で漫画家の牧美也子氏と、娘で零士社社長の松本摩紀子氏の謝辞。晩年、零士氏のマネージャーも勤めた摩紀子氏が「私が手伝い始めるまでは、オーバーブッキングや大遅刻など皆様に多大なるご迷惑をお掛けしました」と述べると、会場には経験者が多かったようで笑い声が起きる。「これからは作品やキャラクターを守り、育てて行くのが責務。よろしくお願いします」と締めくくられた。
最後に、生演奏のアニメ作品主題歌が流れる中、参列者全員で献花。時間いっぱいまで、零士氏の思い出話をしたり、カードにメッセージをしたためたりしながら別れを惜しんだ。午後からは一般のファンによる献花が行われ、多くのファンが長い列を作った。
<文:大石容子>
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ちばてつや氏 お別れの言葉
松本零士さん。私があなたと初めて会ったのは、今からもう65年前、二人ともまだ高校を卒業した次の年。あなたは、北九州の小倉から夜汽車にのって上京したばかりで夜行列車の煙のススでしょうか、ちょっとホッペタが黒く汚れていて、でもまだ学生服の詰襟が似合う、紅顔の美少年でした。その頃私もマンガ家としてデビューしたばっかりで、食うや食わず。お互いにまだ売れない新人漫画家同士でね。
文京区本郷三丁目に東京大学があります。あなたはその赤門のすぐ近くの西陽が差す、家賃の安い四畳半の「山越館」という下宿屋に居を構えて出版社に持ち込むための原稿を描きながら、いつも、いつも、お腹を空かせていましたね。でもあなたの、青雲の志は人一倍高く、いつかそのうちに大きな連載を勝ち取って、原稿料もらったら超一流の三つ星レストランでザブトンのようなステーキを食ってやる。その時にはちばちゃんにも食わせてやるぞ・・・と二人で夢を語りつつ・・・ちょっと色っぽいヌード写真や、18禁の色っぽい本をこっそり見せ合いながら、可愛い女の子や、美しい女性を描く練習に励む毎日でした。
やがて二人ともまあ紆余曲折、短編を描いたり、イラストを描いたり、忙しい先輩漫画家のお手伝いをしたりして、苦労しながらも修行の成果が少しずつ上がって、なんとか一人前の漫画家として生活ができるようになっていきますけども…そうそう、松本さんはね親しくしていたのに私には全く内緒で、いつのまにか、同じ本郷に住んでいた牧美也子さんという美しい女性漫画家の伴侶を得て、どっしりと家庭を構えてからは順風満帆、その後『セクサロイド』や『男おいどん』などに続き、『キャプテンハーロック』、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』手がける作品が次々と大ヒット。マンガ界も大きく飛躍し、週刊誌の時代に入って、二人とも寝る時間のないほど締め切りに追われる生活が続いていましたけども1979年(昭和54年)、我々がちょうど四十歳になる頃でしたけど、戦闘機とか戦艦とか、宇宙船だとかコックピットだとか・・・そういうメカニックが大好きな松本さんがある日突然電話をかけてきて「超音速旅客機のコンコルドに乗りたいぞ。」と言い出して、コンコルドに乗って宇宙に近い成層圏を飛んで世界一周するからちばちゃんも一緒に行こう・・・と誘われました。
私は、どちらかというと成層圏もコンコルドも、メカニックも、全く興味がない人間だったし、それより何より、仕事も人一倍遅いものでしたから、週刊誌の締め切りで七転八倒していたので絶対無理だとお断りしたのですけれども…もうツアーも組んで、旅券からホテルから全て予約したから、と。もういろいろと寝耳に水で、松本さんの強引さに呆れて、あんなに慌てたことはありませんでしたよ。でも、詳しく話を聞くと、私も松本さんもちょっと親しくしていた女流漫画家さんの萩尾望都さんや『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の声を担当した麻上洋子さん(現・一龍斎春水さん)も同行するけどどうする?って聞かれて、悩みましたけど…まあやむなく連載を休むことにして「仕方がなく」ですけども同行することになってしまいました。
その後も一緒に草野球をやったり、運動会をやったり、ゴルフをやったり、お互いに仕事が遅くて時間がない中、ずいぶん無理をして仕事もして、遊びもしたものです。
80歳を過ぎてからもあなたはいつも元気で、「ちばちゃん、そのうちに宇宙船に乗りたいな。宇宙船に乗って、無重力のなかで座布団みたいなビフテキを食ってみたい」と元気いっぱいでしたけど。2年程前、イタリアのトリノで松本さんがファンに会うイベントの旅先でちょっと体調を崩された、というニュースを聞いた時は、本当に肝を潰しました。
帰国後はしっかり養生してずいぶんお元気になったと聞いていましたけども、このコロナの時代になってしまい、なかなか会うことも難しい中、今年の2月13日、奥様の牧美也子さんと、お嬢さまの摩紀子さんに見守られて、あなたのいつも夢に見る、大好きな大好きな銀河の世界に旅立っていきました。いまさら私がいうまでもなく、あなたが漫画やアニメーションに遺してくれた業績は本当に偉大で、旭日小綬章、紫綬褒章だとか、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受賞だとか、挙げたらキリがありませんね。
大昔…北九州の小倉から夜汽車に乗って上京した詰襟の少年が、85年間の人生で素晴らしい大きな足跡を残したことに・・・・・今はみんなが感謝しそのことを心から賞賛し、お別れを惜しむために・・・こんな天気の悪い中、こんなにも大勢のファンや、仲間や、関係者が集まってくれましたよ。
松本さん、今あなたとお別れするのはとっても辛いですが…もう、誰がどうみてもこれ以上ない、充実した人生、世界中の人から拍手喝采をされる、大往生でした。長い間お疲れ様。私もね、もう少しだけ頑張ったら、松本さんの居る銀河系を追いかけて行きますから。そしたら今度こそ、ザブトンのようなビフテキを一緒に食べようね。じゃあいってらっしゃい。